歴史
名称
マサチューセッツ州の名称はかつてマサチューセッツ湾の周辺に居住していたインディアン部族、マサチューセッツ族にちなむ。この部族の名はマサチューセット語で「大きな丘の場所」を意味し、ボストンの南のミルトン(Milton)にある小さな山(今日の「ブルー・ヒルズ」、Blue Hills)を指している。
マサチューセッツ湾植民地時代(1629年-1686年)
1620年、メイフラワー号で北アメリカに到着したピルグリム・ファーザーズはプリマス植民地に入植した。
その後に他の清教徒たちも続き、1629年にマサチューセッツ湾植民地が建設された。
清教徒たちは信仰の自由を求めてマサチューセッツに来たものの、彼らは異なる教義に寛容ではなかった。そのため、アン・ハッチンソン、ロジャー・ウィリアムズ、トマス・フッカー(Thomas Hooker)らはマサチューセッツを離れ、南に向かった。ウィリアムズはロードアイランド植民地を建て、フッカーはコネチカット植民地を建てた。
フィリップ王戦争(1675年-1676年)は植民地時代初期におけるワンパノアグ族を中心としたインディアンとの戦いで最も血なまぐさいもので、コネティカット川(Connecticut River)流域のパイオニアバレイ(Pioneer Valley)とプリマス植民地でも大きな戦闘があった。ニューイングランド南部の諸植民地がこの戦いの傷から立ち直るのには長い年月を要した。
1691年、マサチューセッツ湾植民地とプリマス植民地は合併した。
1692年、セイラム魔女裁判事件が起こる。
英領ニューイングランド(1686年-1692年)
1686年5月、ジョセフ・ダッドレー(Joseph Dudley)がイギリス王ジェームズ2世によりニューイングランドの長官に任命され、マサチューセッツ湾植民地は終わりを迎えた。ダッドレーはその後、ニューハンプシャー植民地とキングズプロビンス(今日のロードアイランド州の一部)に本拠を置いた。エドマンド・アンドロス卿(Sir Edmund Andros)が到着してニューイングランド自治領の知事に就任すると、ダッドレーはアンドロス知事の議会の一員となった。
1689年、ウィリアム3世とメアリ2世のイギリス国王即位の知らせに、ボストン入植者たちは反乱をおこした。アンドロス卿と彼の部下たちはキャッスル島(Castle Island)で拘束され、囚人としてイギリス本土に送還された。アンドロス卿は謀反の疑いが晴れたと、1692年から1698年までバージニア植民地の知事を務めている。
英領植民地マサチューセッツ(1692年-1774年)
この時代の著名な知事は、トマス・ハチンソン(Thomas Hutchinson)、フランシス・バーナード卿(Sir Francis Bernard)およびトマス・ゲイジなどである。ゲイジは英領マサチューセッツの最後の知事となった。
植民地独立へ(1760年代-1780年代)
マサチューセッツはイギリスによる支配に最初に反旗を翻した植民地としてアメリカ独立戦争を扇動した。1775年2月9日、英国議会はマサチューセッツは反乱していると宣言し、植民地秩序回復のため追加の軍隊を送った。
1770年3月5日、フラミンガム(Framingham)からボストンを訪れていたアフリカ系アメリカ人、クリスパス・アタックス(Crispus Attucks)らがボストン虐殺事件として知られる武力衝突で英軍兵士に殺された。アタックスはしばしばアメリカ独立戦争最初の犠牲者と考えられている。
1773年12月16日にはボストン茶会事件が起こる。
レキシントン・コンコードの戦い、バンカーヒルの戦い、ボストン包囲戦を含むアメリカ独立戦争初期の戦いのいくつかはマサチューセッツで起こった。
植民地独立へ(1760年代-1780年代)
ジョン・ハンコックがマサチューセッツ州初代知事となった。
アメリカ合衆国憲法は1787年の憲法制定会議で制定され、翌年発効した。1788年2月8日、マサチューセッツはアメリカで6番目にこの憲法を批准している。
1790年の人口調査によれば、マサチューセッツには奴隷は全くいなかったという。
1820年3月15日、メイン地区はマサチューセッツから分離し、独立した州として合衆国に加わった。